MOTIVATION NOTE
クリエイター

【偏愛実験室】(3)保育士試験と広告と私。

偏愛実験室とは「偏愛を解き明かし、ビジネスに好循環を生む」をコンセプトに、ジャンルを問わず、あらゆるファンの心理を研究する10人の若手プランナーを中心に構成。さらに自ら何かのファンとなり、偏愛体験を積む、そんな“会社非公認チーム”です。

意識的な、偏愛実験

どうでもいいことだが、私はコピーライターである。32歳にして道半ば。サラリーマンとして、記事を書かざるを得ない今この瞬間、好きな言葉は「大器晩成」である。このたび弊社の「偏愛実験室」の活動について、記事を書くように仰せつかった。先に言ってしまうと、この記事には、「明日から使えるマーケティングのヒント」も「あなたの知らない生活者インサイト」も「広告業界への問いかけ」も書かれていない。先に言いましたよ。そう開き直って、進めようと思う。

「偏愛実験室」とは、弊社のプランナーや制作関連の職種の人間を中心に結成された、会社非公認のチーム。生活者のインサイトや、ビジネスの突破口になる「何か」を得るべく、「意識的に何かをとことん愛する」実験を行い、その活動をチーム内でシェアしている。クライアントの商品への、世の中の熱狂を作らないといけない広告会社の、潜入調査という感じだ。

しかし私自身は典型的なワーカホリックである。趣味はあるが、偏愛と呼べるようなものはない。では、私は偏愛実験室においてどうしているかというと、テーマを「教育」と決めて活動している。というか「教育」というテーマに乗っかった。偏愛というのは、本来ひじょうに個人的な感情であるはずだが、偏愛実験室の室長は「働く人間の弱さ」を理解していて、最初からチームを設定した。2〜3人で同じテーマに偏愛を傾けるのである。そこで大学で教員免許を取得しているプランナーが「教育」という旗を振ったので、私もそこに加わることにした。大義名分としては「私も子どもが好き!」という理由で。

そして、保育士をめざす

何のエビデンスもない話だが(当たり前か)私は子どもが好きで、子どもという存在は、いつか深めてみたいテーマではあった。そして普段の生活において「子どもが好き」と発言すると、「じゃあ何で結婚してないの?子どもがいないの?」という目を向けられる(気がする)ことも多くなった。被害妄想だと信じたいが。そもそも親バカと、子ども好きは大きく異なると思うのだが、こちらのスペックもガラスのメンタルなので、何かしら自分を守る盾が欲しかった。そこで唐突ではあるが、私は、保育士試験を受けようと決めた。

保育士資格は、養成のための学校を出ていなくても、保育士試験(ペーパーと実技)に受かれば取得できるのである。2、3ヶ月(私は根性なしなので、実際は1ヶ月半だったが)読む本の傾向が偏るだけと思えば、仕事の合間を縫って勉強可能と信じ、この4月の試験に挑むことにした。

教育というテーマの面白さ

はじめてみると保育士の勉強は、非常に面白かった。その理由は、おそらく2つある。1つは、教育というのは因果関係の物語だと気づいたからだ。「広告みたいだ!」と思った。因果関係というのは、たとえば、この栄養素を与えると、こういう風に成長しますといった物質的な(?)話から、生後何ヶ月の子どもの成長の段階的な特徴がこうだとすると、保育士はどのような対応が求められるかといった児童心理の話、世界あるいは日本でこういう精神が掲げられているから、保育士は特定の場面においてどのように対応すべきかと言った保育原理の話なども含まれる。また逆に、たとえば子どもの振る舞いから、家庭での虐待の有無を考えると言った、因果関係の逆算も求められる。

そして2つ目の理由は、保育は福祉の領域であり、弱者と社会の問題の一片を考えさせられるからだ。たとえば児童養護施設に預けられる子どもの一定数は、軽度の知的障害や発達障害を抱えており、また虐待を受けた子どもの入所も増えているという。その子たちの心の平安は?進学は?就職は?その先は・・・?ひとの弱さや、生きる辛さはそれ単体で存在することもあるけれど、社会の中で起きる場合、複合的なものであることも多いのだと改めて気づかされる。これは完全に私個人の嗜好だが、私は弱い人の側にいる人でありたいと思う。だからこそ、保育の勉強が心に響いたのかもしれない。

ブランドは人格、とすると?

さて、強引に広告の話とつなげる。ブランドは人格だと言われる。そして私たち広告会社はクライアントの大切なブランドを、一緒に育てる仕事をさせていただいている(「〜させていただいている」という日本語が気持ち悪いという意見もあると思うが、今回に関しては本当にそう書くしかない。光栄なことに、させていただいている!)。ブランドづくりには基本となるメソッドがあり、それをあてはめて考えたり、「よく育った」「優秀な」「素敵な」他業種・他社のブランドからノウハウを抽出し、それを使って別の「子ども」を育てたりもする。

広告会社は、プロとしての体系的な知識があり、そして他社事例を持っている。そう、私たちはブランドづくりのプロ、ブランドの保育士さんなのである。クライアントが誰よりもいちばんそのブランドを愛している。けれどその上で、プロとして助けたいのだ。そして保育の場が、子どもにとって他者と関わる社会の入り口であるように、私たちも社会の接点とまで言うとおこがましいかもしれないが、世間とディープに関わるものとして「世の中の流れ、最近こうなっていますよ」「だから乗った方がいい、あるいは乗らない方がいいですよ」とお伝えしたいのだ。そしてもちろん、子どもの個人情報は秘密だ。コンプライアンス!

そして私は組み立てたロジックの上に、さらに考えてコピーを描く。最後まで悩む。クライアントの大切なお子さんに、その子だけの言葉を、その子が社会から愛され、夢を叶えることができる言葉をお渡ししたい。

広告会社は、クライアントにとって医者だ、と言う人がいる。私もそんなお仕事ができたらと思う。憧れる!しかし考えてみると、医者だと子どもの具合が悪いときにしか、子どもに会えない。健康診断だって、年に一回だ。私は日々ブランドの健やかな成長をサポートする、保育士の方が、たとえとして好きだ。ただし、もしもの時に備えて、「医療技術」を磨き続ける、そんな保育士。場合によっては、手術もする。ブランドの保育士であれば、問題ないだろう。

実験は、失敗か?

最後に重要な補足をお伝えし、お詫びを申し上げたい。実は、私は保育士試験を実際のところ、受けていない。新型コロナウイルスの蔓延によって、2020年4月の試験はあっさり中止になってしまったのである。個人的には、神様が「保育士試験はいいから、一本でも多くいいコピーを書きなさい」と言っているとしか思えない。もしくは、私のような人間に、保育士になられては困ると、保育系の神様(?)が怒っているのかもしれない。どちらにしても、神様ごめんなさい。教育的な何かを期待して読んでくださった方、ごめんなさい。

偏愛実験室の「教育」チームの活動として、この保育士試験の道がいいものであったかはわからない。結局、私の偏愛は「教育」ではなく「広告」だった。ただ、あえてそこから、学びらしきものを、ひねり出すとすると、おそらく偏愛という感情は、恋をするとすべてのものがその人とリンクして見えてしまうように、すべてのものを偏愛の対象に強引につなげる力を持っているということだろう。

知り合いではないが、スティーブ・ジョブズは、過去の異なる経験をつなぐことによってイノベーションがもたらされることを、“Connecting the dots(点と点を結び付ける)”と表現した。私の「教育」という薄い点が、何処かにつながっていくのか、いつか何かを生むのか、あるいはこの薄さでは無理なのか、研究員の義務として見つめていきたいと思う。少なくとも今回の「意識的な偏愛」は、「本来の偏愛」によって連れてこられたものではあるのだから。

PROFILE

コピーライター

PR会社、広告会社営業職、コピーライターとして師匠に弟子入りを経て、現在フロンテッジのコピーライター。PRが好き。お客様と直接話すのも好き。コピーを書くのが好き。趣味は歌舞伎鑑賞。大学時代は歌舞伎をやっていました。