MOTIVATION NOTE
プロデューサー

ビリー・アイリッシュとグレタ・トゥーンベリ - 新しい物語??

ストーリーテリング/物語

昨今、ブランドにはストーリーテリングが必要、と言う話をよく聞きます。それはAIやビッグデータによるターゲティングの精緻化、最適化だけでなく、コンテンツには物語が必要、という話です。確かにデータだけで見せられても、なんとも思いやしない、説得力が薄いわな、、というのが私の実感です。

中には、エクセルのデータに萌える方もいらっしゃるかもしれませんが、魚座O型の私には無理です。ただし、この「物語」という言葉、とても捉えられ方が広く、最近ではツールのようにUX のためのストーリーテリングTipsみたいなものまであります。例えば、サイトのコンテンツに「物語性」を加えるには、これこれのパターン(方法)があります、と言うようなものです。

ただし、ここで取り上げる「物語」とは、そういったテクニカルなものではなく、もうちょっと概念的と言うか、古臭いと言うか、神話っぽいと言うか、そんなものです。レヴィ・ストロースの言う「行動に影響を与えるもの」であったり、蓮實重彦の言う「説話論的な磁場」というイメージです。さらには河合隼雄の「生きるとは、自分の物語を作ること」も近いイメージです(自分の人生は自分の物語、ですからね)。「自分の日々の行動に磁力のように作用するもの」と言うイメージです。

自分では分かりやすいように箱根駅伝のランナーのエピソードのようなもの、と理解しています。あるランナーが下級生時代に大怪我をし、それを乗り越えて今回4年生で最後の箱根駅伝出場、しかも田舎ではおばあちゃんがテレビの前で応援している、なんてエピソードを聞いただけで目頭が熱くなり、その後その選手を応援してしまう、というような。

広告と物語で考えると、広告に物語性が付与され始めたのは1970年代ボードリヤールが『消費社会の神話と構造』で「記号的消費」を言い始めた頃ではないかと思っています。つまり、モノの機能的な価値以外の部分に左右されて消費者が購入するしないを決めるといったようなことです。

さて、このボードリヤールの「記号的消費」から、はや50年!今の広告と物語はどうなっているのか、を調べてみようと思います。

若者論/若者の物語

最近は若者論の話を聴く機会も多いです。いわゆるミレニアル世代やZ世代の話です。広告会社的に考えると、住宅ローンや子どもの教育費でロックオンされているファミリー世代はさておき、これからの日本の消費動向を引っ張るであろうこれら若者世代の消費傾向を把握しようとするのは当然だと思います。

しかも、さらなる少子高齢化時代に向かっているこの時代、【貴重な絶対数の少ない】若者達である、一人一人の消費行動の影響力は以前より大きいのです。ひるがえって、現在シニア世代の我々の頃は単純でした。家を買う、車を買う、という単純で一直線な物語でした。今若者論が多く聴かれるのは若者にとっての「物語」を探ろうということだと思っています。

ちなみに変化を捉える、という点でエピソードを一つ。大ヒットした映画「君の名は。」のプロデューサー川村元気さんがインタビューで、普段気をつけていることとして、「世の中の微妙な変化」に注目する、という話を聞いたことがあります。100人いる男子の中にある特徴的なファッションが一人二人ポツポツと出てき始めたタイミングでその変化を見逃さないようにしている、というものです。

そのポツポツと出てきたファッションを徐々に周囲が「ありなんじゃないか??」とうっすら感じ始め、やがてそれが顕在化して大多数の同意(流行)に繋がっていく、ということだそうです。弊社でも若い世代を中心に変化の兆しを捉える活動に取り組んでいます。

また、若者論では、古市憲寿氏の「絶望の国の幸福な若者たち」もよく引き合いに出されると思います。概要を記すと、2010年の時点で20代男子の65.9%、女子の75.2%が現在の生活に満足していると答えている。しかし、一方で社会に対する満足度や将来に対する希望を持つ若者の割合は低い、のでタイトルの「絶望の国の幸福な若者たち」となる。幸せなのか不幸なのかよく分からない世代のようです。

そんなミレニアル世代やZ世代の若者の消費傾向の特徴として、まず言われているのはエシカル(倫理的)消費、またブランドビリービングが必要との話である。例えて言うとパタゴニアは企業としても信頼できるので商品を購入する、といったようなことです。私的には極論すれば、パーパスもCSRもサステナビリティも「物語」の一種ではないかと思っています。

ビリー・アイリッシュとグレタ・トゥーンベリ

さて、そんな時にビリー・アイリッシュとグレタ・トゥーンベリの出現です。【うすら】どころかめちゃめちゃ分かりやすく登場しましたが(笑)、二人ともまだ10代で、しかも二人とも怒っている。ビリー・アイリッシュは、大人の作った「こんな社会はク○だ」、と言い、グレタ・トゥーンベリは「大人達のせいで、こんな手遅れな状況に陥っている」、と怒っている。

私はビリー・アイリッシュのヒットを音楽的に分析する手立ては持っていませんが、インタビューで「ペルソナをからかっているのよ」という話を聞いたことがあります。日本だと「キャラ」に近いイメージかもですが、キラキラしたインスタグラムやSNS上のペルソナを「本当のあなたは実は違うんでしょ?」とからかっているそうです。

一方のグレタ・トゥーンベリは、こちらは激しい怒りを表しています。「希望が持てない」どころではなく、そんなこと通り越して激しく怒ってます。「How dare you! (よくもそんなことを!)」

様々な意見はありますが、二人の共通点は、本質的に「違うよね。」と言っている気がします(特に我々大人世代に対して)。「忖度」や「取り繕い」や「隠蔽」などとは全く逆の「違ってるじゃん。」と言われている気がします。

この二人が今後若者の「物語」となっていくのか、もしくはもうなっているのか、注目していきたいと思います。

参考図書
『神話と意味』クロード・レヴィ=ストロース著、みすず書房
『物語批判序説』蓮實重彦著、中央公論新社
『生きるとは、自分の物語をつくること』小川洋子、河合隼雄著、新潮文庫
『消費社会の神話と構造』ジャン ボードリヤール著、紀伊国屋書店
『絶望の国の幸福な若者たち』古市憲寿著、講談社+α文庫

PROFILE

広報/ナレッジシェア

グラフィクデザイナーを皮切りに、セールスプロモーション、クリエイティブプロデューサー、クリエイティブマネジメントなどを経験後、永いキャリアと幅広い職歴?を元に現職。趣味/英検、TOEIC受験